「十年間」という時間は私達にとって、短いものだろうか?長いものだろうか?少なくとも地球にとってこの十年は、環境汚染が広がり続けた辛く長いものだったと思う。しかし環境破壊のスピードから見れば、極めて短いものだったように感じる。
つい先日起きた大規模な「黄砂」。それはわたしに十年間の短さを気付かせてくれた。私は、十年程前まで北京の少し近くに住んでいたのだが、今年の黄砂のニュースを見ていると「これほどすごかったのか?」と、首をかしげてしまう。両親に聞いても自分の記憶でも、これほどまでにも黄砂に悩まされた事がないのだ。
そして、「黄砂がアメリカ西海岸まで到達」と聞いた時、十年前とはすっかり地球を取り巻く環境が変わったことにやっと気が付いた。少し前までは、春の自然現象として認識されていた黄砂だが、中国内陸の砂漠化が人為的な現象でもあるため、人災の性格も年々強くなっている。
その上中国の急激な工業化で、近年では大気中の汚染物質が黄砂と共に、日本を経てアメリカ大陸まで移動するようになり、国家間の問題にもなっている。たった十年で、自然現象が地球レベルの環境問題へと変貌してしまったのだ。この非常事態に、中国国民の危機意識が高まったのはもちろんのことだ。政府の緑化政策などとは別に、人々が自ら動き出している。内陸では個人が植林をし、緑を育てているし、東アジアの民間団体が中国の環境団体らと共に繰り広げる、緑化の国際キャンペーンも活性化してきているという。
そして、砂漠化防止の国際的取り組みも強化されつつあり、砂漠化対処条約にはこれまで約百六十ヶ国以上が締約している。
これらは全て、人々の意識が変わり、それが意志の束となって動いてきた証拠である。
一九九二年のリオデジャネイロの地球サミット以来、社会の仕組みも随分変わり、NGOが国際的場面での発言力を強め、環境問題に関わる国際協定や機関は十倍以上にも増加した。
私は例え今の時点で成果が出なくてもこれらの国際的取り組みを前向きに捉えてゆきたいと思う。
それは決して今の環境対策が十分だと言っているわけではない。「この政策ではだめだ」と言っている暇があれば次のステップへと進んで行きたいからだ。人々の意識を変えたリオデジャネイロのサミット。それから十年。今年八月に、ヨハネスブルクで開かれるサミットが、本当の意味での「環境保護活動」の幕開けだ。
この十年間、地球はひたすら苦しみを背負い続け、その苦しみは人々の意識向上への鍵となった。この十年間でただ単に考えて見ている時間はもう終わりだ。次の十年間、これからの未来は行動の時代である。私達は今まで溜めてきたパワーを使い、この星を守らねばならない。
2002年 高円宮賞(中学生部門)
佐賀県 中学3年 翁 暁雪