私の家の近くには木陰になる背の高い木がたくさんある。そこはとてもきれいだ。チキなどの軽食を売っている屋台がたくさんある。子供は食べ物やさんで食物を買うのが好きだ。この子たちはいつも包み紙に入っている食物を平らげる、そして食べ終わった紙くずをどこにでも投げ捨てている。彼等がそれを投げるので、きれいだった庭が汚くなる。私はなんども床を掃かなければならない。その子たちは、環境を清潔にしておくことがどんなことかわかっていない。
川がゴミでいっぱいなのは確かだ。しかし、ふつう、川はビニールの廃棄物や葉っぱで汚れているものだ。また、川で沐浴する人もいるし、衣服を洗ったり、皿を洗ったりする者もいる。川の中に汚物を捨てる者。この人たちは、川が既にバクテリアによって汚染されていると感じないのだろうか?
時々、川の水は茶色をしている。色がついている水なんて、病気を運んでくるからもっと危険だ。
川の近くに住んでいる人々は、いつもゴミを好きなところへ投げ入れる、川にでさえ。この人たちはそれが与える最悪の影響について考えないのだろうか? 彼等は、ビニールのごみや他のごみは埋めるとか、紙や葉っぱだったら燃やす、とかいったゴミ処理の方法を見つける必要がある。そうすれば、環境はあまり汚されずにすむ。私たちの家の前の溝はゴミでふさがれることがない。毎日曜日に人々が溝が汚くならないように掃除をするからである。
私の村は、工場から出る汚れた空気や工場から川へ投げ捨てられる廃棄物で汚染されてきた。村民は、せきやインフルエンザや他にも病気になる。人々は簡単に病気にかかってしまう。彼等が汚れた空気を吸っているので、寿命が長くない。だから、空気を汚してはいけない。汚染がひどくなれば、人生も惨めになる。
乾季になると、川は干上がり、多くのごみが剥き出しになったまま、水のない川にたまっている。いやな臭いがする。ということは、私たちが不潔な空気を吸わなければならないことだ。
人々には環境に適合するという意識がないのだろうか? 森林の木を切り倒すということは、洪水や浸食や地すべりが起るんだということが分からないのだろうか。
そして、どこにでもゴミを投げ入れることはインフルエンザやせきやその他にもたくさんのひどい病気を引き起こすということを。
私の夢は、ドアマットや衣服やゴミ箱のような再使用品を作ったり、売ったりする工場やお店を経営することだ。そうすれば人々はもうどこにでもゴミを捨てるようにはならないかもしれない。多分、そのうちに、人々は使用済みの材料はいい仕事になるかもしれないということに気付くだろう。
私の家の西側には田畑がある。毎朝私はそこを走っている。空気はまだ新鮮だ。たくさんの鳥が田んぼにおりてくるのを見ながら、お百姓さんがすきで耕しているのを見ながら走っている。環境は清潔で、快適だ。私たちがこの環境の世話をすること、これが重要なのだ。
2002年 特別賞(小学生部門)
インドネシア バングンレジョ小学校 6年 イダ・アユ・フィトリリア・ジョハン