私が小学生の時の事です。新聞係で使う藁半紙のアンケート用紙を、1枚で4回使える様に工夫したら、先生に「あなたって、本当に使えなくなるまで物を使う人よね」と呆れ顔でほめられました。一応嬉しかったけれど、物を最後まで使うという当然の事でほめられて、少し違和感を感じました。つまり、日常生活でも感じていましたが、他の人と私の価値観は違うのです。私は、地球の資源がごみになったり、燃料に使われたりと必要以上に減っているのは、世の中に贅沢を普通だと感じている人がいるせいだと思います。
そういう人たちがケチだと感じる位の生活が普通であり、地球が長持ちする生き方だと思うのです。
私の家では、工夫と我慢で充分なので、エアコンやストーブなどは一切使いません。そうすれば発電の際に起きる様々な問題が減ります。さらに、体が丈夫になり、電気代まで減って、とてもお得なのです。電気の節約は、数軒では小さい効果でも、沢山の家で行えば大きい効果が出るので、せめて恵まれている温帯の国だけでも節約するべきだと思います。
単に節約するだけでなく、使い回す事を加えれば、資源はもちろん、製造や精製、処理に使われる電力を減らす事にもつながります。私の母は、料理さえも使い回します。例えばスペアリブと大根の煮物を作ると、その煮汁を使っておでんを作り、その残り汁は味噌汁やトマトシチュー、カレーへと、食べなれた順番で受け継がれるのです。この様に使い回せば、食材も、調理器具洗いに使う水や洗剤も節約できて、経済的です。下水処理も少しは楽になります。将来、料理をするようになったら、是非、母を見習いたいと思います。
使い回すのも好きですが、私が一番気に入っているケチは、物を永く使う事です。消耗品は極限まで使いきり、入れ物を取っておく事もあります。小一から使ってきた筆箱は、今となってはボロボロですが、友達みたいな感覚で使い続けています。ところが、自分が利用した物を、時代遅れだと文句を言って、罪悪感無く捨ててしまう、恩知らずな人がいます。流行より物を優先する事の方が、余程かっこいいし正しい事だと、私は思います。
私達が贅沢をやめたところで、昔の無駄なき生活にはかなわないそうです。だからといって努力をしなくてもいい理由にはなりません。資源を使ったり捨てる前に、勿体なくないかを考え直し、ケチらなければなりません。それが今を生きる人間の義務だと思います。
決して、幸せから遠ざかれと言っている訳ではありません。ケチは、必ず地球と私達を、贅沢な暮らしとは違う、真の幸せに近づけてくれます。ただし、ケチにはまりすぎて、思いやる心までケチるのはおすすめできません。
私も親戚と比べると修行が足りず、未熟なので、もっとケチ道を極めたいです。そして将来、世界にケチ道を広めたいと思います。
茨城県 中学校1年 服部 諭美