環境問題が世間で議論されるようになって、学校でも、環境を守るために、いろいろ取りくむようになりました。でも、矛盾点がたくさんあるので、そのことをもう一度、大人に考えてほしいと思います。
ゴミを可燃物と不燃物に分別するのは、あたりまえのことだと思います。当然、小学校でもゴミ箱が色分けしてあって、自分たちで分別しやすくなっていました。しかし、ある日、色が違うゴミ箱のゴミの行き先が一つの焼却炉だということに気付いてしまいました。これでは、分別の学習はできても、環境を守るという目的は達成されません。とても情けなかったことを今でもよく覚えています。
以前、東京のある区で、ビニール袋に税をということが話題になりましたが、僕の家では、そのずっと前から、買い物袋を持って買い物に行っていました。だから、家にスーパーのビニール袋は、ほとんどありません。それなのに、毎週五袋ずつ学校に持って行かなければならないのです。ゴミ袋として。これには、母も困ってすぐに先生に訴えましたが、結局、卒業するまで、続きました。(もちろん僕は持って行きませんでした。)環境を守るための取りくみと反対のことをどうしてするのでしょうか。
悩みはまだまだあります。今年中学生になったけど、リコーダーを買い替えなくてはなりませんでした。理由は、メーカーが違うと音色が違うからということです。母は悲しそうに、「あなた達は弘法じゃないから筆を選ばないといけないと思われているのよ」と言いました。物を大切にし、不必要な物を買わないことが地球環境を守ることにつながるのに残念です。修理しながら、三十五年前の母のピアニカを使ってきた僕には信じられない出来事でした。
昨年、アジアこども会議で、ゴミ問題について話し合った時、「物の命」ということを考えました。服を考えた時、羊の毛、蚕の絹、綿と多くの命があります。昔の人は、大切に服を着ていたし、お古だって着ていました。破れたら、繕って着て、物の命を大切にしました。僕は、兄のお古を着るのも、母のお古を着るのも平気です。だから、学校の制服だって、着られなくなったら、人に譲ったり、譲られたりして当然だと思っていました。でも、学校はあまりいい顔をしないのです。きっと経済優先の(業者の)なのだと思います。
環境学習をする一方で、環境を破壊する行為が行われている現場で、僕たちは悩んでいるのです。若者が環境問題に関心を持っていないとかいう声も聞こえてくるけど、子どもたちは、結構、真面目に考えているのです。僕一人の力は、とても小さいと思うけど、こうして訴えられる場で訴え続けようと思います。そして、みんなで一生懸命考えて、環境を守ることができる環境にしていきたいです。
2004年 高円宮賞(中学生部門)
静岡県 中学校1年 久永 雅宏