2005年度特別賞(中学生部門)〜悲 哀

私は、ふわふわと風に飛ばされて毛玉のようなタンポポの中で徘徊したり、大風が起こり、黒雲が涌き、雷鳴と稲妻が入り乱れる夢か幻のような夜に瞑想したり、風に随って蝶々のような落ち葉の中でぶらぶらしたりすることが好きです。そして空中で揺り動かす精霊のような白い雪の前に感嘆したりすることも好きです。しかもどんな時でも青い空さえ見れば追憶します。

昔のことを思い起こします。

青空の下での幼稚園ごろのこと、幼稚園で先生に教わる童謡を思い出します。「小さなつばめ、花模様の服を着て、毎年ここへ、、、」と。突然、まるまる太った小さな手が先生の前で現われ、左右に振っています。

「どうした?」

「ツバメが何時来るの。」と子供が甘ったれている声で質問していました。

「ええっと。」先生が窓の外をのぞいてみました。もう六月、太陽がさんさんとすべてのエネルギを地面に降り注いでいます。木の葉っぱが所々しわしわと枯れます。他の葉の陰に隠れたものが陰のかげで青々とするものもあります。セミも朴訥に枝に附着、「あつい、あつい、、、とお気に入る歌をしています。

「来年の春には見えるでしょう。」と先生が答えました。

すると、私達は毎日のように親たちに「春がいつ来るの」と同じ質問を続けました。

ようやく立春の日になりました。この日の朝、先生に会う時に「先生、春が来た。」と子ども達が挨拶のかわりに言いました。春が本当に来ました。冬の間、吹雪のためにどこかへ身を隠した鳥も翼を叩きながら飛び回っております。北京の空はスズメの世界のようになりました。時には五、六羽のカラスも一、二羽のカササギも見えます。だが、ツバメはいつまで経ってもなかなか来っていません。

あっという間に夏になりました。陰に身を隠して棲息する鳥もいます。光陰が秒ごとに私たちの心を痛めていました。

やっとある日、先生の一声の呼びかけで子どもたちがみんないっせいにベランダに押し寄せました。本もののハサミのような尾羽を持つツバメが二羽私たちの目に現われました。

「あっ、ツバメだ。綺麗だね。きれいだわよ」と歓声が響いて、静かな湖に石を投げたように空は幼稚な笑い声で波紋が四方に広がっていました。先生が私たちを見たりまた飛んで行ったツバメを眺めたりして苦笑しながら頭を振りました。それは五歳になってはじめてツバメを見た子どもに対しての仕方がない感じだったと思いました。

確かにこれはこの文明社会の哀れです。もしかしたら人々はまだ完全に目が覚めていないかもしれません。この哀れがいまだに続き、それに悪化していくようです。

小学校六年生の頃でした。北京が突然の砂あらしに覆われて、人々の両眼が砂に瀰漫されて、人々の心も埃に封じされてしまいました。そのほこりはいまだに消えていません。

時々、幼稚園の前を通りかかります。園内を覗いてみると、ポプラの葉っぱがそれほど茂っていません。年を取ったせいか、歯が抜けた老人のように見えます。

空ももう青くありません。恐らく霧の仕業でしょう。いまは、灰色が空の主旋律になっています。

天空を飛んでいる鳥が一羽もいません。これはどんな口実でも通じないでしょう。恐らく今、園内にいる子どもたちは今度の春が来る時にツバメが飛んでくることを待っているかもしれません。来年は先生たちがどんなに頭を振るか分りません。

ある日私は父の勤務先について植林しに行きました。ある山の前にやってきました。周りの山は青々としているが、目の前に50平方メートルぐらいだけ黄土だらけでした。まるで翡翠にキズがついたようでした。私達はすばやくそこで桃の木を植えました。

その後聞いたことですが、実は私たちより先にあそこで木を植えました方がいました。桑の木を植えたが、金もうけや利益ばかりを考えていた商社の人々に伐採されてしまいました。あの商社の管理者が遠く住んでいるけれども、発散した銭の臭さがします。

これはいかにも哀れの中の哀れだと思います。

砂嵐の埃が私たちの心を封じないように、そして煙や霧が私たちの行く道を封じないように、更にこれからの人々が一羽の鳥のために歓声をあげないように、私たちの子孫が天井板に青空を描くことのないように、子々孫々のためにより多く力を入れましょう。人間社会の罪を減らして文明社会の悲哀を薄めましょう。

2005年 特別賞(中学生部門)
中国 中学2年 劉 健喬