今、私の家では引っ越しの準備に大忙しだ。沢山の物を整理していく中で、捨てられていくものが多い。
私が生まれる前から使っている冷蔵庫は、私の成長の証しだ。私がまだ幼かった頃、必死に冷蔵庫を開けようとしてついた手の傷が、今でも扉についている。そして、段々に私が大きくなっていったことが見てとれる。しかし、その冷蔵庫も今では音を立てて壊れていく。もう、寿命で捨てられる。冷蔵庫だけではない。きちんとご飯をたけなくなった、炊飯器。洋服を洗えなくなった洗濯機。それらも間もなく捨てられ、新しいものに買いそろえられていくのだろう。捨てられる運命にある家電製品に比べ、家具や洋服はどうなのだろうか。 私が幼い時に着ていた洋服は今、きれいに種別されている。食べこぼしや、よだれの付いた洋服は、母が丹念に汚れを落としている。何故ならば、親戚の子供に洋服をあげるからだ。母はそれらの服を見て 「佳奈香との思い出がいっぱいつまっているわねぇ。思い出すわ。」 と愛しそうに言っている。私もそれを聞いて、これらの服が、他の人の手にわたり、その人にとっても思い出の服となれば嬉しかった。このように、沢山の人の手にわたった服は、最後に雑巾となり、使い果たされるのだ。
今、古いくるみの木でできたダイニングテーブルを修理に出している。新しい物を買った方が安い。でも、修理の職人さんの 「このくるみの木は生きている。」 この言葉に、心を動かされた私達家族は、このダイニングテーブルを可能な限り、大切に使おうという意見で一致したのだった。
私がここで残念に思うのは、家電製品は寿命が来れば捨てられることだ。捨てられた家電製品も確かに有効利用されるかもしれない。製品を解体して部品を取り出し、新たな製品を生み出したり、又解体せずに発展途上国へ輸出されたりする。しかし私は思う。今の家電製品の寿命は十年と言われている。私はもっと長く大切に使いたい。中身は修理しながらも使っていけないのだろうか。そして、何年にもわたって、沢山の人に大切に使われていけば、骨董的な価値を持つ電化製品が出てくるのではないだろうか。
そして今、地球温暖化などの環境問題が深刻化している。早く対策を取らなければいけないが、私達自身の自然に対する姿勢から見直していかなければいけないのかもしれない。一つ一つは、取るに足らない私達の身近にあるもの。それらに愛情を注ぎ、長く大切に使っていこうとする姿勢。それが後には、自然を愛することにつながり、環境問題解決の糸口になるのではないかと思う。私が引っ越しを機に考えたこと。それは、全てのものが百年以上使えれば良いなと思う、大きな夢だ。
2007年 地球こどもクラブ賞(中学生部門)
東京都 中学校1年 成田 佳奈香