積雪がほとんどないまま今年の冬を過ごしました。除雪の苦労はなかったですが、地球の異変を確かに感じました。しかし、ぼくが庭の木に掛けた小鳥の巣には例年通りの時期に可愛らしい野鳥がやって来てパンくずをつついていました。裏庭にフキノトウが顔を出し、夕食にフキみそを作り家族で楽しみました。こんな小さな春の訪れに心が弾みました。
地球温暖化は北極の消滅や生態系の崩壊という地球の危機を確実に生みますが、ぼく達の身近かなこととして季節の変化が感じられなくなったら、なんと悲しいことだろうと思います。日本人は豊かな四季の変化の中で、自然を尊ぶ生活文化を築き上げてきました。しかし、人工的な便利さを追求するあまり自然を顧みなかったことを反省し、地球の危機が叫ばれる今ぼく達がやらなければならない、そして今できることは「自然を思う」ことだと思います。それは何も大袈裟に考えるものではなく、もっと周りに目を向けて小さな変化に気づいたり、小さな発見を楽しんだりすることが、地球環境を守るという大きな手掛かりにつながっていくということなのです。
ぼくは今、植林活動を通して緑を、そして自然を広げていくことに取り組んでいます。そのきっかけは、ぼくが幼稚園の時、庭に植えた数個のドングリの実が大きな木となったことにあります。ドングリの木は夏には木陰を作り、秋にはたくさんの実を付けて楽しませてくれたり、ぼくの成長の証しでもあります。緑は大気中の二酸化炭素を減らし、地球温暖化を押さえる効果があるのはもちろんですが、人の心も癒してくれる大きな働きがあることを知りました。ですから、今度は地球も、そして人の心も癒したいと思って、国内各地の植林活動やアジアの国々やアフガニスタンやアフリカに苗木を送るボランティアに参加しました。いつの日か、成長した木を見に各国を回りたいというのがぼくの夢です。
地球温暖化の危機を理解し、節電や節水やリサイクルなどの省エネを日常の当たり前として環境問題に積極的に取り組めるようになったぼく達ですから、今度は自然や命あるものに愛情を持って接しましょう。自然と人間は一体です。環境のことを考えるのは自分のことを考えるのと同じことです。自分を大切に思うのと同様に、周りの緑やそこに集まる小さな命に意識を向けることが「自然を思う」ことだとぼくは思います。一人一人のささやかな意識や取り組みが地球環境を守るのです。
ケニアに3千万本もの木を植えてきたワンガリー・マータイさんも最初は7本の木から始まったそうです。マータイさんの「太陽を仰げば太陽も笑顔を見せる。花を見れば花もほほ笑みかける。この世界は素晴らしい。生きていることは素晴らしい。」というメッセージを自然に感じることができるようになった時、地球の危機は回避されるのだと思います。
2007年 高円宮賞(中学生部門)
新潟県 中学校1年 河合 寿也