「自然」て何だろう。例えば、わたしの中にすぐ思いうかぶのは、「緑」だ。近くの公園や原っぱ、家族と旅行した、長野の高原や北海道、オーストラリア・・・。
広々とした原っぱに行くと、いつもうれしくなる。深こきゅうしたくなる。思いっきりかけ出したくなる。ゴロンとねころんでみたくなる。虫を観察したくなる。
「自然」について考えてみたくなったきっかけは、五年生の時、地球温暖化について調べたからだ。近ごろ、世界中で、大雨がふったり、気温が異常に上がったり、山火事が発生したり、自然災害のニュースがとても多い。また、こん虫や動物が異常発生したり、逆に、絶めつしそうな動物や植物が増えている。
そんなニュースや新聞記事を見るたび、わたしは、とても不安になる。「自然」のバランスがくずれてきたのだと思う。
「自然」を辞書で調べてみると、山・川・草・木・雨・風・雪・星など、人がつくったものでないもの。と、まず最初にでてくる。地球も、空気も、水も、動物も、植物も、きっとみんな「自然」から生まれたのだろう。すべてを生んでくれた「自然」は、わたしたちみんなの「お父さん」と「お母さん」だと思う。それなのに、考える力や思いやる心を持っているはずの人間が、「お父さん」や、「お母さん」に対する感謝の気持ちを忘れてしまった。
「自然」はとうとうおこりだした。ずっと前からおこっていたにちがいない。がまんも限度をこしたのだ。
被害を受けて、泣いたり苦しんだりするのは、決して人間だけではない。よごれた水を流され、海も魚も泣いている。車のはい気ガスで、緑も泣いている。大量のゴミを捨てられて、山や川も泣いている。CO2が増え、オゾン層が破かいされて、地球が泣いている。
あわてた人間は、
「緑を増やそう、川にち魚を放そう、ペットを自然に返そう、CO2を減らそう。」と、自然保護に目を向け始めた。ところが、見た目だけもとにもどしても、かえって、自然を破かいする結果になることもあると知り、わたしはおどろいた。もともとの生活場所を考えてあげなければ、「自然」は喜んでくれないのだ。そんなにかん単に、「自然」は、元気を取りもどせないのだ。
便利なものをたくさん作り出すこととひきかえに、むやみやたらに、多くの自然をきずつけてきたことを、人間は、深く反省しなければいけない。
春休みに、近くの公園に桜を見に出かけた。冬の間、葉っぱもなく、寒そうにしていた木が、枝いっぱいに花を咲かせていた。思わず「わあっ。」と、感動した。うれしかった。 「自然」に対する「ありがとう」の気持ち、それが、地球を守る第一歩だと思う。
2007年 優秀賞(小学生部門)
東京都 小学校6年 大坪 礼奈