「余計な魚もとらんでええ。余分な木はきらんでもええ。ようけ食べると病気になるし、食べんでも死んでしまう。ちょうどええのがむずかしい。」
と、お盆やお正月に弟と二人で必ず聞かされる山口のおじいさんの言葉です。おじいさんはもう七十五才ですが、今でもお茶室の設計をしたり、お寺やお宮の仕事をしています。こう言うと、スーパーおじいさんに聞こえますが、おじいさんのガンバリ・パワーの元は子供時代にすさまじい戦争体験をしたからなのだそうです。
おじいさんの父親は太平洋戦争に行ってけっかくという病気になって、おじいさんが三才の時に亡くなりました。それで、わたしと同じ十才のころ、大工の頭りょうの家へ弟子入りをして、子もりをしたりしながら学校へ通い、修業をしてがんばって大工さんになったそうです。
「戦争は親も家も何もかもなくするけえのう。今の時代は、いつでもどこでも、好きな時に好きなだけ食べられるからわからんじゃろう。それが本当にええもんかのう。」
と、おじいさんは、わたしたちににナゾナゾみたいに問題を出してきます。
「そんなの何でもあった方がいいに決まってるよ。食べるものがないなんて最悪じゃない。色んな時間に働く人もいるし、二十四時間コンビニがあいていないと困るでしょ。」
と、わたしが反ろんすると、
「肉でも魚でも、水でもガソリンでも、みなあるだけしかないものじゃからの。余分に食べたり、余計にとったらハアいつか限界がくる。」
ときっぱり言って、少しこわいしわを見せてきます。とたんに、弟がおじいさんの顔がこわいと言ってさわぎ始めます。すると、
「まあ、そねえなことを言うても通用せんか。それでもわからんといけん日が来るのがの。」
と、ニッコリいつもの笑顔になります。
わたし達は今学校やテレビや新聞で毎日のように環境問題の話題にふれています。確かにエコ対策をすることはきん急に必要だと思います。わたしも、ゴミの分別や、スチール缶のポスターを描いたり、車に乗らずに徒歩や自転車で買い物に行ったりしてエコ努力をしていると思います。けれども、おじいさんが子供時代に体験したような、すさまじい食糧難や苦しみを知りません。つまりギリギリの状況が来ることを、何となく想像するだけでその恐ろしさが本物のリアルな状況で迫っては来ないのです。それが実は一番問題です。
「今の時代は環境戦争なんかもしれん。日本だけがエコをがんばっても、この戦争は終わらんからの。世界中の国が同じ気持ちにならんと環境平和は来んじゃろう。」
わたしは、これから大きくなって、世界の人びとに環境平和を伝える人になりたいです。
2008年 高円宮賞(小学生部門)
埼玉県 小学校5年 長岡 光玲