2007年度審査委員長賞(中学生部門)〜「もう一つの環境活動」

私には、昨年夏に川口湖で知り合った異国の友達がいます。彼女は日本語、私は韓国語で自分達の地域の紹介などを辞書を片手に悪戦苦闘しながら手紙を書き、やり取りしています。彼女も環境活動を通して仲良くなった一人です。

昨年入学した中学校は、自宅から電車で二時間半も離れたいわば全く環境の違う場所でした。私の小学校時代と言えば環境活動の四文字に置き換えられるほど、学校でも家庭でも盛んに活動していましたし、話題の中心であったと言っても過言ではなかったと思います。日頃から文字を書く事が好きな私は、新しい地で環境の輪を広げる意味でも事あるごとに環境作文を書きました。幸いにして弁論大会にも出場する事が決まり、多くの人に理解してもらえる絶好のチャンスだと、一生懸命練習し頑張って「水の大切さ」を訴えました。しかし、その日から私に付いたあだ名が「環境大臣」だったのです。今までごく当たり前と思っていた自分の考えや行動が、その一言で冷やかされ、否定された気がして、頭の中は「馬鹿にされた、恥ずかしい。」という言葉で一杯になりました。そしてこれを境に私から環境活動という四文字は消えてしまいました。

数日後、そんな思いもつかの間、彼女から手紙が届きました。読んで行く内に、私には住む場所は違っても互いに理解し合える友がいる。環境問題は自分一人ではどうにもならないが、逆に自分一人でも行動を起こさないと始まらない。こんな事でくじけず勇気を出して、また頑張らないと彼女に申し訳ないと思う様になっていました。

今年三月、学校の文集が配られました。一年間の思い出作文がぎっしり載っています。その中に弁論大会の思い出として、私の事を取り上げて書いてありました。「話を聞いて水に対して考えが変わった。少しでも人の心を動かせる事はすごいと思った。」と記されていたのです。私は喜びの余り胸が熱くなりました。他にも、多くの人が感動したと書いていたと知り、悲観的になっていた自分が恥ずかしく、思わず笑ってしまいました。

私の行動はやはり間違っていなかった。うれしい事に良き理解者はこんな身近にも沢山いたのです。友達によって励まされ、支えられ、又活動への意欲と進む道の再確認も出来た事を感謝しています。今とても嬉しい気持ちでいっぱいです。これからも清掃活動や節水、節電など自分に出来るエコライフはもちろん、経験や体験を通して得たものを人々に伝えると云う、もう一つの環境活動にも率先し、環境の輪を広げて行こうと思います。そしてまた、その文集の「ローハスな生活」のページを読んで、少しでも心を動かせて下さる人がいる事を願っています。

2007年 審査委員長賞(中学生部門)
兵庫県 中学校2年 﨑津 舞香

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